氏名 | 霊名 | 帰天年月日 | 最終任地 |
---|---|---|---|
谷内 武雄 | アシジのフランシスコ | 2023年6月9日 | 療養(月形藤の園) |
近藤 光彦 | トマス・アクィナス | 2023年3月7日 | 療養(月形藤の園) |
久野 勉 | ヨゼフ | 2022年2月6日 | 花川・手稲教会協力 |
地主 敏夫【名誉司教】 | ペトロ | 2021年5月4日 | 名誉司教 |
亀浦 芳孝 | アウグスチヌス | 2021年12月9日 | 函館ラ・サール高校 |
場﨑 洋 | シエナのベルナルディーノ | 2021年1月12日 | 療養(定山渓病院) |
池島 亟羽 | 使徒聖ヨハネ | 2018年6月20日 | 療養(月形藤の園) |
荒木関 孝 | ヨゼフ | 2014年11月30日 | 新田教会協力 |
荒木関 巧 | ベネディクト | 2014年4月9日 | 大分教区・鶴崎主任 |
中江 洋 | アシジのフランシスコ | 2014年2月6日 | 北一条・北二十六条協力 |
田村 忠義 | アシジのフランシスコ | 2012年2月3日 | 小野幌教会 |
井戸井 栄 | 洗者ヨハネ | 2008年7月11日 | 北一条・北二十六条協力 |
近野 亘 | フランシスコ・ザベリオ | 2008年7月5日 | 大麻教会 |
浅沼 正三 | フランシスコ・ザビエル | 2007年4月22日 | 真駒内教会 |
澤田 茂 | フランシスコ・アシジ | 2006年7月20日 | 月寒教会 |
橋本 力 | ペトロ | 2005年9月28日 | 円山教会 |
場﨑 柔晨 | フランシスコ・アシジ | 2005年9月11日 | 網走・美幌教会 |
石上 昭夫(横浜教区) | 十字架のヨハネ | 2004年2月3日 | 江別教会・司教館秘書 |
今田 共栄 | フランシスコ・ザベリオ | 2003年3月13日 | 真駒内教会 |
林 信夫 | フランシスコ・ザベリオ | 2001年6月13日 | 新田教会 |
田中 亮 | ペトロ | 2001年3月18日 | ブラジル/マリンガ教区 |
浅井 正三 | バルトロメオ | 1999年12月16日 | 札幌地区 |
片山 久史 | アンジェロ | 1999年6月5日 | 札幌地区 |
中川 宏 | 使徒ヨハネ | 1999年1月19日 | 札幌地区 |
林 忠実 | 使徒ヨハネ | 1998年9月1日 | 円山教会 |
中川 寿 | フランシスコ・ザビエル | 1996年11月18日 | 療養(天使病院) |
太田 哲也 | アウグスチヌス | 1995年8月8日 | 北見地区 |
長坂 親秀 | ヨゼフ | 1994年11月5日 | ベネディクトハウス |
佐々木 羊三 | ステファノ | 1991年2月9日 | 倶知安教会 |
冨澤 孝彦【司教】 | ベネディクト | 1989年3月26日 | 札幌教区長 |
大友 良夫 | ヨゼフ | 1987年10月27日 | 長沼教会 |
瀬野 勇 | アウグスチノ | 1983年9月30日 | 札幌教区長 |
高橋 幸男 | クレメンス | 1982年9月2日 | 千歳教会 |
木内 藤三郎 | アシジのフランシスコ | 1978年12月16日 | 雪の聖母園 |
ヴェンセスラウス・キノルド【司教】 | 1952年5月22日 | ||
戸田 帯刀 | ロレンシオ | 1945年8月18日 | 札幌教区長 |
2020年4月より月形藤の園で療養中だったが、2023年6月9日15:36、肺炎のため入院先の腎友会岩見沢クリニックにて神様のみもとに召された。92歳。【略歴】1931年北海道小樽市生まれ、1950年小樽住ノ江教会にて受洗。1961年3月21日北一条教会にて司祭叙階。叙階後、山鼻教会助任、小神学校校長。1965年~月寒教会・円山教会主任代行、1970年~月寒教会、住ノ江教会、大麻教会、千歳教会、富岡教会、北見教会、山鼻教会、真駒内教会主任歴任。その間、倶知安藤幼稚園園長、北見地区長、司教総代理歴任。2011年5月1日休養。2012年4月1日新田教会協力、後に主任代行。2020年4月13日月形藤の園療養。2023年6月9日帰天。この他、ハンセン病患者支援、アルコール依存症者支援(札幌マック)、受刑者訪問など、長きに渡り常に社会的弱者と向き合い共に歩まれた。
2021年8月に脳梗塞で倒れ、その後月形藤の園で療養中だったが、昨年12月より前立腺がんで入院されていた。3月7日午前2時過ぎ、入院先の月形町立病院にて神様のみもとに召された。93歳。【略歴】1929年北海道札幌市生まれ、1947年12月3日北十一条教会で受洗(聖公会から転会)。1961年3月21日北一条教会にて司祭叙階。1961年11月1日住ノ江教会助任、1965年4月1日新田教会主任、1970年5月1日北二十六条教会主任、1978年4月1日富岡教会主任、1989年4月1日円山教会主任、さゆり幼稚園園長、1998年4月1日小野幌教会主任、虹の森幼稚園園長、2006年3月31日虹の森幼稚園園長退職、2008年4月1日真駒内・山鼻教会協力、2022年1月17日月形藤の園療養、2023年3月7日帰天。長いこと札幌地区長や幼稚園園長も歴任され、福音宣教のために教区全体、また、特に札幌地区を支えてくださった。
がん転移から来る腰痛により入院中だったが、2022年2月6日に神様のみもとに召された。92歳。【略歴】1929年北海道広島郡生まれ、1955年12月21日北一条教会にて司祭叙階。1956年3月31日山鼻教会助任、1956年9月1日円山教会助任、1958年3月31日北一条教会助任。1961年3月31日新田教会主任、1965年4月1日住ノ江教会主任、1973年4月1日光星高校専任教諭、1981年4月1日岩見沢教会主任、岩見沢天使幼稚園園長、1989年4月1日北一条教会主任、聖園幼稚園園長、1993年4月1日花川マリア幼稚園兼任、1999年4月1日倶知安教会主任、倶知安藤幼稚園園長、2008年4月1日花川・手稲教会主任代行、2008年11月1日花川・手稲教会協力、2022年1月17日手稲渓仁会病院入院、2022年2月6日帰天。長きにわたり札幌地区内の小教区及び学校教育、とりわけ幼稚園園長も歴任され、教区を支えてくださった。
2021年3月に腹痛を訴え受診、その後持病の腸ヘルニア治療のため入院されていたが、誤嚥性肺炎なども数度繰り返し、体力の低下により5月4日入院先の札幌厚生病院にて老衰により帰天、90歳。【略歴】1930年北海道札幌市生まれ、1934年9月16日北一条教会にて受洗、1960年3月20日北一条教会にて司祭叙階、北二十六条教会助任。1961年~1969年司教館付司教秘書、教区事務局長。1969年~1978年ローマ留学。1978年~1987年円山教会主任、さゆり幼稚園園長。1987年10月3日札幌教区長(司教)に任命される。1988年1月15日司教叙階。2009年11月17日司教辞任が受理される。2021年3月12日治療のため札幌厚生病院入院、2021年5月4日帰天。故富沢孝彦司教より引継ぎ、札幌教区を支え導いた。日本のカトリック教会のために教会行政法整備、典礼刷新などに尽力され、札幌教区においても学校法人や社会福祉法人において重責を務め、福音宣教のために自らが先陣に立ち導かれた。
胃がんを患い肝臓転移が原因で2021年12月9日帰天。81歳。【略歴】1940年10月4日生まれ、1959年8月15日浦河教会にて受洗、1969年7月6日苫小牧教会にて司祭叙階。1970年4月1日大麻教会助任。1970年10月小神学校勤務。1973年4月1日函館ラ・サール高校勤務。1988年4月ターミナルケア研修留学のため渡米(ロサンゼルス)。2021年12月9日帰天。
16年ほど前から脊柱管狭窄症を発症し手術を行ってきましたが、術後も芳しくなく患部癒着などの合併症に悩まされていました。転地療養なども行い回復に努めてきましたが、2021年1月12日入院先の定山渓病院にて神様のみもとへ召されました。【略歴】1958年北海道帯広市生まれ、1958年8月15日帯広教会にて受洗、1989年5月5日北十一条教会にて司祭叙階。1989年~小野幌教会助任、江別教会・伊達教会主任代行、1992年10月1日表町教会主任、1994年4月~教区事務局長、真駒内・岩見沢・新田・江別・大麻・北二十六条・手稲・花川・山鼻教会主任。その間に北海道カトリック学園理事、長沼聖心幼稚園・大麻藤幼稚園・虹の森幼稚園園長歴任。2008年6月25日腰椎脊柱管狭窄症療養のため大分へ。2011年3月1日北二十六条教会主任。2014年4月21日手稲・花川教会主任兼任。2017年4月1日北二十六条教会協力。2020年12月3日療養のため定山渓病院入院。2021年1月12日帰天、63歳。札幌カリタスやカリタス家庭支援センターの設立、北海道カトリック学園専務理事として幼児教育などに尽力された。物まねが得意でユーモアと笑いで周囲をいつも明るく和ませてくださった。
月形藤の園で療養中のところ、入院先の月形町立病院にて2018年6月20日帰天、95歳。【略歴】1923年4月20日樺太生まれ、豊原教会にて受洗、1956年12月21日司祭叙階。1957年~山鼻・円山・北一条教会助任。1962年~千歳・山鼻・三笠・恵庭・千歳主任。その間小神学校長を務める。2004年~恵庭・千歳・北広島協力。2009年~新田教会、藤の園療養、その後ケアハウス入所。2014年月形藤の園入所。2017年2月28日月形町立病院入院。2018年6月20日同病院にて帰天。
新田教会協力司祭在任中の2007年6月から脳梗塞を患った関係で右手が思うように動かないため、月形藤の園に入所されました。その間に何度か危険な状態を克服し月形藤の園の職員や信徒の方々に見守られ静養していましたが、2014年11月30日誤嚥性肺炎のため入院先の岩見沢市立総合病院にて帰天。【略歴】1923年12月16日旭川市生まれ、1923年12月25日旭川五条教会にて受洗。1956年12月21日北一条教会にて司祭叙階。北一条教会助任。1958年小神学校校長、1963年~富岡・円山・北一条・岩見沢・長沼・夕張教会主任歴任。この間、幼稚園長や日本カトリック幼稚園協議会理事を務める。2002年4月新田・岩見沢教会協力。2007年6月病気療養のため月形藤の園入所。2014年11月30日帰天、90歳。
2003年11月から大分トラピスト修道院での静養後、大分教区で司牧を行っていました。2010年秋にガンが発見され治療を行ってまいりましたが、2014年4月9日19時52分に大分市の大分岡病院にて帰天。【略歴】1939年2月27日北見市生まれ、1939年3月21日北見教会にて受洗。1965年3月19日北1条教会にて司祭叙階。ミュンヘン大学教理研究所に留学。1968年11月北海道に戻り、住ノ江・山鼻・北一条・円山・新田・宮前町・岩見沢教会にて司牧。藤女子大学講師、雪の聖母園長、さゆり幼稚園長など歴任。2003年11月23日静養のため大分トラピスト修道院へ赴き、2006年から大分教区の臼杵・佐伯・鶴崎教会で司牧。2010年9月13日に大腸ガンの手術を受け治療を続けてきましたが、2014年4月9日帰天、75歳。
長期にわたり療養を行いながらも司牧を続けてまいりましたが、2014年2月6日11時17分に入院先の札幌厚生病院で肝臓ガンのため帰天。【略歴】1936年7月24日樺太・豊原生まれ、1955年12月24日北十一条教会にて受洗。1971年11月3日北一条教会にて司祭叙階。札幌司教館勤務をはじめに、大麻・住ノ江・小野幌教会主任。この間、虹の森幼稚園園長歴任。1993年4月療養。2003年4月~北一条・北二十六条教会協力司祭。2013年9月24日から札幌厚生病院に再入院し加療してまいりましたが2014年2月6日帰天、77歳。
あと5日で98歳の誕生日を迎えられるという2012年2月3日に神様のもとに召された。昨年まで元気に全国を飛び回ってミサを捧げるなど亡くなる直前まで宣教司牧活動を熱心に行われていた。【略歴】1914年2月8日旭川市生まれ、1931年9月23日帯広教会にて受洗。1944年3月19日ローマにて第2次世界大戦のまっただ中に司祭叙階。1946年4月~1949年6月山鼻・岩見沢・北一条教会助任歴任。1949年7月1日教区会計。教区長秘書に就任。1950年4月~1965年5月室蘭教会主任・北一条教会助任・住ノ江教会主任・東京Misionary's校長などを歴任。1965年6月1日カトリック中央協議会事務局長。1970年4月1日東京カトリック神学院長。1975年11月1日小野幌教会助任。1991年7月20日新田教会主任・雪の聖母園長。1992年1月10日小野幌教会協力。2004年6月1日函館旭ケ岡の家ケアセンターベレル入所。2011年12月24日旭ケ岡の家特別養護老人ホーム入所。2012年2月3日帰天、97歳。
2008年7月8日に北光記念病院に急遽入院し加療中でしたが、2008年7月11日多機能不全による心筋梗塞にて神様のみもとに召されました。75歳。【略歴】1933年3月21日小樽市生まれ、1933年3月25日富岡教会にて受洗。1962年3月21日北一条教会にて叙階。月寒・東室蘭教会助任を歴任。1964年5月14日ブラジルへ布教団宣教師として渡る。1990年10月1日病気療養のため帰国。1992年4月19日大麻教会主任。2001年4月1日千歳教会主任。2001年7月1日新田教会主任。2002年4月1日北一条・北二十六条教会協力。2008年7月8日北光記念病院入院。2008年7月11日帰天、75歳。
2007年11月12日より恵佑会札幌病院にて入院加療中でしたが、2008年7月5日に神様のみもとに召されました。78歳。【略歴】1930年4月29日釧路市生まれ、1949年4月16日富岡教会にて受洗。1962年3月21日北一条教会にて叙階。北一条・北二十六条教会助任歴任。1967年4月藤女子大学・短大講師専任。1972年10月藤女子大学教授。1995年5月1日北広島教会主任。1998年4月1日月寒教会主任。2001年7月1日大麻教会主任。2007年11月恵佑会札幌病院入院。2008年7月5日帰天、78歳。
月形藤の園に入所しておりましたが、2007年4月22日8時45分神様のみもとに召されました。93歳。【略歴】1914年3月13日岩手県生まれ、1925年12月14日北十一条教会にて受洗。1938年3月21日叙階。小樽富岡教会助任。1939年~76年倶知安・旭川・稚内・北見・山鼻・富岡・北一条教会主任、聖園幼稚園園長。1977年~98年真駒内教会主任、真駒内聖母幼稚園園長。1998年真駒内教会協力。2006年1月12日新札幌パウロ病院で病気加療のため入院。2006年4月21日月形藤の園入所。2007年4月22日帰天、93歳。
腹痛を訴えられて2006年4月4日から入院し病気加療中でしたが、7月20日14時20分、神様のみもとに召されました。70歳。【略歴】1936年1月1日釧路市生まれ、1952年8月15日黒金教会にて受洗。1962年3月1日北一条教会にて叙階。1962年4月北一条教会助任。1966年9月アメリカ・カナダへ留学。1973年5月から倶知安・山鼻・富岡・千歳・恵庭教会主任歴任。2001年7月月寒教会主任。2006年4月4日病気加療のため札幌北楡病院へ入院。2006年7月20日北楡会病院にて帰天、70歳。
2003年春よりすい臓癌を患い病気加療中でしたが、2005年9月28日18時15分、神様のみもとに召されました。76歳。【略歴】1929年3月23日札幌市生まれ、1930年12月25日山鼻教会にて受洗。1961年12月20日ローマにて叙階、その後ローマ・ウルバノ大学で教会法を学ぶ。1966年帰国、北一条・円山教会助任。1969年から倶知安・山鼻・宮前町・住ノ江・富岡・北広島・長沼・夕張教会主任歴任。2004年4月円山教会主任。2005年8月20日病気療養のため札幌天使病院入院。2005年 9月28日帰天、76歳。
2005年7月上旬より病気加療中でしたが、9月11日5時36分、胆嚢悪腫瘍による肝不全のため札幌厚生病院(札幌市)で帰天されました。76歳。「すべてを己が胸に納め、受け入れてくれる司祭」という周囲の評そのままの人柄で、温厚柔和でありながら厳しくあるべき面では厳しく接し、信徒からの信頼は厚く、神父様の訃報は誠に残念でなりません。
【略歴】1929年7月22日北海道室蘭市生まれ、1929年7月22日室蘭教会にて受洗。1961年3月21日北一条教会にて叙階。富岡・円山・北二十六条教会助任歴任。1967年9月から富岡教会主任。1978年4月北二十六条・山鼻・倶知安・小野幌・岩見沢・三笠・新田教会主任歴任。2003年4月網走・美幌教会主任。2005年7月上旬札幌厚生病院にて病気療養。2005年 9月11日5時36分帰天、76歳。
かねてより病気療養中でしたが、2004年2月5日14時53分、心不全のため天使病院(札幌市)にて帰天、75歳。【略歴】1928年静岡生まれ、受洗。1959年叙階。横浜司教館勤務。1962年フランス、パリ・サンドニ教区で司牧、パリ・カトリック大学神学部にて基礎神学等を学ぶ。1989年司教秘書として札幌司教館勤務。1991年江別教会主任司祭兼務。2004年2月5日帰天、75歳。
2003年3月13日午後教会で倒れられた後、救急車で札幌医科大学付属病院に運ばれましたが、肺血栓塞栓症により15時27分帰天、59歳。【略歴】1943年11月19日生まれ。1970年7月5日北一条教会にて叙階。1971年4月大麻教会助任。1972年10月大麻教会主任。1975年11月小野幌教会主任。1984年4月倶知安教会主任。1989年4月新田教会主任。1999年4月千歳教会主任。2001年4月真駒内教会主任。2003年3月13日帰天、59歳
2001年3月に腹部の異常を訴え、直腸がん手術の為斗南病院(札幌市)に入院療養中でしたが、2001年6月13日18:25帰天、80歳。戦後の混乱の中、多くの教会を廻り宣教活動に従事され、多くの信徒の方々に愛されました。【略歴】1920年12月8日生まれ、1921年1月受洗。1951年12月21日北一条教会にて叙階。1952年4月旭川五条教会助任、同年7月北一条教会助任。同年11月教区長館。1953年小神学校校長。同年11月苫小牧教会主任。1954年富岡教会主任。1955年北広島教会主任。1958年千歳教会主任。1961年住ノ江教会主任。1964年山鼻教会主任。1969年新田教会主任。1976年恵庭教会主任。1993年花川教会主任。1998年新田教会主任。2001年6月13日帰天、80歳。
ブラジルのマリンガ教区で宣教活動に従事されていましたが、2001年3月18日19時過ぎ(日本時間3月19日7時過ぎ)、ミサを終えられて知人宅でお食事をされている最中に容態が悪くなりそのまま神のもとへ召されました。以前から心臓のご病気をお持ちで、お体には十分ご留意されておりましたが、突然の訃報に現地の人々は大変ショックを受けています。33年間に渡るブラジルでの宣教を心から感謝申し上げます。【略歴】1936年9月19日北海道生まれ、1953年室蘭教会にて受洗。1963年司祭叙階。月寒・富岡・北二十六条教会助任を経て1968年ブラジル宣教のため渡伯。33年間に渡り宣教活動に従事、特に貧しい子供のためにザビエル学園の建設、援助に惜しみないご努力を捧げました。1998年6月、マリンガ教区よりモンセニュールの称号と栄誉市民賞を与えられていました。昨年秋に帰国し今年1月にブラジルへ戻ったばかりでした。
ここ三年来病気加療中でしたが、1999年6月5日11時、神様のみもとに召されました。35歳。師は叙階されて後より精神神経科の病に冒され、回りがうかがい知ることの出来ない十字架の苦しみを司祭として担っておられました。この間、内臓疾患や重症の怪我もわずらっておられました。皆様には本人の希望もあり、また病状を考慮し、今日に至るまで彼の様子をつまびらかにできなかったことをご理解願うと共に、あらためてゆるしを願うものです。【略歴】1963年9月27日うまれ、受洗。1996年4月29日叙階。北二十六条教会助任。1996年7月1日小野幌教会助任。1997年3月31日病気療養。1999年6月5日帰天、35歳。
堅実で几帳面なお人柄、結婚式を挙げた夫婦のアフターケア、スナップ写真の保存は決して怠らなかった。温泉巡りが趣味。愛煙家で入院のその時までゴールデンバットを手放さなかった(カトリック札幌教区報第99号)。【略歴】1911年12月9日札幌市生まれ、受洗。1937年4月3日叙階。その後、苫小牧・稚内で司牧。第二次世界大戦中は樺太教区長代理を務める。戦後は北見・旭川五条・富岡・北広島・月寒教会主任歴任。1970年4月からは北一条教会にて宣教司牧従事。1999年1月19日帰天、87歳。
【略歴】1912年9月10日生まれ、受洗。1937年4月3日叙階。その後、帯広・倶知安・北広島・山鼻・北二十六条・月寒教会主任歴任。1979年12月より円山教会にて司牧従事。1998年9月1日帰天、85歳。
【略歴】1914年札幌市生まれ。1942年叙階。1942年~43年旭川・稚内教会主任。1944年応召(セレベス島)、46年帰国。1946年~59年室蘭・北見・倶知安・北二十六条教会主任。1966年~1995年北広島教会主任。1996年11月18日帰天、82歳。
【略歴】1953年7月20日新潟県生まれ、1976年4月18日宮前町教会にて受洗。1985年3月21日北一条教会にて叙階。1985年北二十六条教会助任。1988年1月円山教会主任。1989年4月大麻教会主任。1992年4月北見教会主任。1993年4月網走・美幌教会主任。1995年8月8日帰天、42歳。
1947年、樺太教区長代理・豊原教会主任時代(38歳)、終戦のためソ連当局から引き上げを勧告され、日本人信徒全員の引揚げとポーランド人信徒・司祭の帰国保証を実現させるため尽力した(カトリック札幌教区報第90号)。【略歴】1909年4月4日函館生まれ。1935年3月15日北十一条教会にて叙階。1935年~37年帯広・旭川教会助任。1937年~41年帯広教会主任。1941年~43年札幌予備神学校校長・教区事務。1943年~47年倶知安教会主任。樺太教区長代理・豊原教会主任。1947年~63年稚内・苫小牧・北一条教会主任。1963年~67年元町教会助任。1967年~72年千歳・八雲教会主任。1972年~74年司祭館付。1974年~79年紋別教会主任。1979年ベネディクトハウスにて療養。脳梗塞のため1994年11月5日帰天、85歳。
【略歴】1931年2月24日札幌生まれ。1958年3月叙階。その後、住ノ江・山鼻・円山教会助任歴任。1963年4月江別教会主任。1972年4月千歳教会主任。1978年4月新富町教会主任、苫小牧聖母幼稚園園長。1985年7月夕張教会主任、夕張天使保育園園長。1989年4月倶知安教会主任、倶知安藤幼稚園園長。1991年2月帰天、59歳
1952年より36年間、札幌教区長として北海道の教会を育んでこられたが、1989年3月26日の復活の主日の朝、すい臓がんのため帰天、78歳。【略歴】1911年2月12日京都生まれ。1937年3月27日トーマ・ラテラノ大聖堂にて叙階。1946年4月京都教区カトリック西陣教会主任。1952年12月11日札幌教区長に任命される。1953年3月10日司教叙階。1988年1月4日札幌教区長引退。1989年3月26日帰天、78歳。
多忙の中、長沼教会主任、長沼聖心幼・広島天使両幼稚園園長、看護会、アレルヤ会(病者の友)などの指導司祭を兼務し、その超人的活躍は多くの人を感嘆させていたが、1987年10月26日自動車事故、翌27日帰天。幅広い交際、惜しみない人助けと温和な人柄で多くの人から慕われた。【略歴】1934年4月23日札幌生まれ。1963年3月叙階。その後、山鼻・富岡・円山・大麻教会助任歴任。1970年4月千歳教会主任。1972年4月札幌司教館教区事務局長。1981年長沼教会主任兼務。1987年10月27日帰天、53歳。
誠心誠意な風格で親しまれていた同神父は、急性腎不全となり透析を続けていたが、1982年9月2日脳内出血のため帰天。北海道における冨澤司教による最初の司祭叙階。【略歴】1920年11月22日枝幸郡生まれ、1939年4月宮前町教会にて受洗。1941年3月函館師範学校卒業、1947年4月東京カトリック神学院入学、1954年12月21日叙階。1955年3月東京カトリック学院卒業。1955年4月北一条教会赴任。1957年3月富岡教会赴任。1958年4月山鼻教会赴任。1959年8月倶知安教会主任。1969年5月江別教会主任。1977年4月千歳教会主任。1982年9月2日帰天、61歳。
叙階後の赴任地では自ら建物の修理を手掛け、さらには倶知安教会、江別教会の新築、司教館の増改築も関わられた。障がい者支援施設「雪の聖母園」の創立者ならびに園長として広く新聞、テレビで全国的に知られていた師は、1978年12月16日すい臓炎のため帰天、68歳。【略歴】1910年9月23日釧路生まれ。1933年8月ローマ・ウルバノ大学留学。1937年3月27日ローマにて叙階。1937年12月山鼻教会赴任。1938年3月室蘭教会赴任。1946年2月苫小牧教会赴任。1949年10月住ノ江教会赴任。1955年4月江別教会赴任。1963年4月雪の聖母園創設。1978年12月16日帰天、68歳。